大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第一小法廷 昭和51年(オ)1017号 判決 1977年3月31日

上告人

甲一夫

(仮名)

右訴訟代理人

大矢和徳

被上告人

乙花子

(仮名)

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人大矢和徳の上告理由第一点ないし第三点について

所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして、是認することができ、右事実関係に基づいて、本件が、本件離婚訴訟の準拠法である大韓民国民法八四〇条一項六号にいう「婚姻を継続し難い重大な事由があるとき」にあたるとした原審の判断は、正当として是認することができる。原判決は、被上告人側にも落度はあるが、上告人側により大きな落度があることを認めているのであつて、このような場合に被上告人の離婚を認めることは違法とはいえない(最高裁昭和三〇年(オ)第五五九号同年一一月二四日第一小法廷判決・民集九巻一二号一八三七頁参照)。原判決に所論の違法はなく、所論引用の判例は、いずれも事案を異にし、本件に適切でない。それゆえ、論旨は採用することができない。

同第四点について

所論の点に関する認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして是認することができ、原審の認定するところによれば、上告人、被上告人とも、大韓民国の国籍を有するが、婚姻当時日本に居住し、婚姻の届出、婚姻生活等もすべて日本でなされ、二人の未成年の子もいずれも日本で出生し父母の監護養育を受けてきたところ、離婚のやむなきに至つたものであるが、父である上告人は子に対する扶養能力を欠き、扶養能力のある母である被上告人が二人の子を監護養育しているものであつて、諸般の事情を考慮すると、父である上告人は名目上親権者となりえてもその実がなく、実際上親権者たるに不適当であることが顕著である、というのである。

ところで、本件離婚にともなう未成年の子の親権者の指定に関する準拠法である大韓民国民法九〇九条によると、右指定に関しては法律上自動的に父に定まつており、母が親権者に指定される余地はないところ、本件の場合、大韓民国民法の右規定に準拠するときは、扶養能力のない父である上告人に子を扶養する親権者としての地位を認め、現在実際に扶養能力のあることを示している母である被上告人から親権者の地位を奪うことになつて、親権者の指定は子の福祉を中心に考慮決定すべきものとするわが国の社会通念に反する結果を来たし、ひいてはわが国の公の秩序又は善良の風俗に反するものと解するのが相当であり、これと同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。したがつて、本件の場合、法例三〇条により、父の本国法である大韓民国民法を適用せず、わが民法八一九条二項を適用して、被上告人を親権者と定めた原審の判断はもとより正当であつて、その過程に所論の違法はなく、右違法のあることを前提とする所論違法の主張は、その前提を欠く。それゆえ、論旨は採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(下田武三 岸盛一 岸上康夫 団藤重光)

上告代理人大矢和徳の上告理由

第一点〜第三点<省略>

第四点 原判決には憲法の国際協調主義並びに法例第三〇条の違背並びに影響を及ぼすことが明らかな事実認定上の経験則違背があるから取消されるべきである。

原判決は次のように判示している。

「そこで、離婚に際し未成年者の子の親権者に母を指定することが、父の本国法上認められない場合、これが法例第三〇条にいわゆる公序良俗に反するか否かについて考えるに、本件の場合、前認定のとおり、夫、妻とも、大韓民国の国籍を有するが、婚姻当時日本に居住し、婚姻届出、婚姻生活すべて日本でなされ、二人の未成年者の子は、いずれも日本で出生し父母の監護養育を受けてきたところ、離婚のやむなきにいたつたものであり、父は扶養能力を欠き、扶養能力のある母が二人の子を監護養育しているものであり、諸般の事情を考慮すると、父は名目上親権者とはなり得てもその実はなく、実際上親権者たるに不適当であることが顕著な場合である。

しかるに、わが国では戦後日本国憲法第二四条により、家族生活における個人の尊厳、男女の平等が確立し、親族、相続法では家の制度を廃止し、とくに、親子間の法律関係においては、親権の共同行使、離婚にともなう親権者の指定の制度が定着し、かつ、親権者の指定は子の福祉を中心に考慮決定されるべき事柄であることが定説として実際に現在まで実施され、戦後わが国における親族共同生活ならびに社会秩序の基盤となつているものである。そうすると、本件の場合、いかに外国人間の離婚の問題とはいえ、父の本国法である大韓民国民法に準拠すると、わが国ではすでに廃止された旧民法時代の親子関係が復活することになり、子の福祉についてみても、扶養能力のない父に子を扶養する親権者としての地位を認め、現在実際に扶養能力を示している母からその地位を奪うことになり、法例第三〇条にいわゆる公序良俗に反するものということができる。そこで、わが国の民法第八一九条第二項を連用し、被控訴人を親権者と定める。

然し乍ら大韓民国がその風土と歴史的事情に基づき、その国独自の法律制度を定めることは、その国の国家主権の発動であり、充分尊重されるべきである。憲法前文も「われわれは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる」と規定している。又、大韓民国民法の適用によつて上告人が親権者と定められることによつて我国の旧民法時代の親子関係を復活させることにならないことは当然であるから、右原判示が憲法に於ける国際協調主義に反し、かつ法例第三〇条の解釈を誤つたものであることは明白である。原判決は上告人は扶養能力を欠くと判示しているが上告人は定職を持ち、上告人の母や兄等の肉親も上告人の住居の近くに住んでおり扶養能力は充分ある。被上告人こそ上告人の服役中に暴力団員と密通し乍ら、原審本人尋問に於てその事実を否認する等の不道徳不倫な人格の持主であつて扶養能力を有しないものである。

百歩譲つて上告人に扶養能力がないとしても子の監護養育者と親権の行使者とは分離して定め得るものであるから、子の福祉の観点にたつても上告人を親権者とすることに何らの支障も考えられない。

然るに原判決は前記引用の如く判示しているのであるから、原判決に事実認定上の経験則違背があり、かつ右違背が原判決に影響を及ぼすことは明らかであるから取消されるべきである。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例